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高松高等裁判所 昭和51年(ラ)15号 決定 1976年8月26日

抗告人 (自称)杉山キヌヨ(仮名)

主文

原審判を取消す。

抗告人が本籍愛媛県○○○郡△△町××○○○○番地、筆頭者杉山キヌヨ、出生年月日明治三六年六月一〇日、父母不詳、父母との続柄女として就籍することを許可する。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は、別紙即時抗告の申立書及び抗告理由書記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

(一)  一件記録によれば、次の各事実が認められる。

1  抗告人は、物心がついた頃は、杉山キヌヨと名乗り、「杉山」とか「こうやん」と呼ばれていた父、「テル」と呼ばれていた母と共に台湾××州に居住していたこと。

2  抗告人は、三歳頃、父母に伴われて内地から台湾に連れていかれたことをかすかに記憶しているが、父母から自己が○○県で出生したことを聞かされていたこと。

3  抗告人は、七歳頃、△△△△△会社の伐採夫であつた父が行方不明となり、八歳頃母が病死したので、他家の走り使いや子守り等して生活していたこと。

4  抗告人は、一八歳頃、近隣の人から父が長男、母が長女であるため法律上の婚姻ができず、内縁関係にあつたことを聞き知つたこと。

5  抗告人は、一八歳頃、仲居奉公するにあたり、戸籍謄抄本が必要になつた際、はじめて無籍であることを知り、代書人を通じて○○方面へ照会する等して就籍しようとしたが果さないうちに内地へ引揚げるにいたつたこと。なお、自己の生年月日が明治三六年六月一〇日であることはその頃聞き知るようになつたこと。

6  抗告人は、二〇歳頃、台湾で船乗りをしていた町田幸一(本籍愛援県○○○郡××町△△○○○○番地、明治二〇年八月五日生)と結婚したが、無籍につき婚姻届出をなすことができないので、父杉山孝次郎、母岡テルヨの庶子女、杉山キヌヨ、明治三六年六月一〇日生として町田幸一の同居寄留人として寄留届をしたこと。

7  終戦後、抗告人は、昭和二一年三月頃、町田幸一とともに鹿児島港を経て幸一の郷里(本籍地)に引揚げて同棲し、昭和三五年頃幸一が病死したのちは、十四、五年ばかり炊事婦として働いたけれども、現在では幸一の遠縁にあたる小林勇造夫婦の厄介になつており、生活保護が受けられないため、町役場の指導により本件許可申立をしたこと。

8  抗告人は、台湾語を話すことはできるが、読み書きができないのに反し、日本語は、話すことはもとより、平仮名の読み書きができること。

9  抗告人には前科・犯歴が存しないこと。

10  また、当裁判所が抗告人を審尋した際の印象によれば、抗告人の日本語の話し振り、その外貌、身振り等によつても、抗告人が人種的にみて日本人であることを否定すべき徴憑を見出し難いこと。

11  他方原審が調査したところによれば、宮崎市管内に保管してある戸籍簿・除籍簿中に杉山姓がないこと、大分県津久見市内には岡テルと称する者あるいはそれと発音の類似する氏名を有する者の戸籍簿はなく、同県○○○郡××町大字△△△△○、○○○番地の△に岡カツの戸籍(現在除籍)があり、右カツの子に照子(テルコ)がいたことが認められるが、右カツは明治二三年八月二日生で旧姓を小島と称し明治四〇年八月二六日岡健太郎と婚姻して岡姓となり、昭和四四年三月一八日本籍地で死亡した者で、その子照子は昭和六年八月二八日生であることが認められ、右カツ、照子のいずれも生年月日、婚姻日時、死亡日時等に照らし抗告人が母であると主張する岡テルヨと同一人物であると考えられないこと、抗告人は昭和一二年から同二二年までの間に宮崎区裁判所に対し就籍許可の申立をした旨供述するがその形跡がないこと。

以上の事実、ならびに抗告人審問の結果に徴すると抗告人は正規の教育を受けておらず、その経歴、年齢に照らし事理の弁識の不十分、記憶違いなどが認められるので、前記父母の正確な氏名のごときも記憶違い等があつても已むを得ないところと考えられるし、また就籍許可の申立のごときも他の何らかの手続等との事実ないしは記憶の混同があるものとも考えられ、全般を通じ抗告人がことさら事実を曲げて供述しているものとは解し難い。しかして抗告人が内地において出生し、日本語を使用する環境の中に幼児から生育してきたものであることは前記供述内容、風貌、態度、その他一件記録に徴し、これを肯認するのが相当と認められる。

(二)  そうすると、父と抗告人との間においては法律上の親子関係が存在しないことが明らかであり、抗告人の母は「テル」と呼ばれていたというものの、その本名が果して抗告人主張のように「岡テルヨ」であるか否か、また何処で生れたものであるかも判然としないから(したがつて国籍も確認できない。)、父母がともに知れないときというに妨げなく、また、抗告人が日本内地で出生したことは前記認定のとおりであるから結局、抗告人は、旧国籍法(明治三二年法律六六号)四条所定の「日本ニ於テ生マレタル子ノ父母カ共ニ知レサルトキ」に該当するものというべく、生地主義の法理によつて日本国民とされるものであるといわなければならない。

従つて、抗告人は、日本国民として、当然本籍を有しうるのに、未だこれを有しない者というべきであるから、抗告人の本件就籍許可の申立はこれを認容すべきである。

(三)  よつて、抗告人の本件申立を却下した原審判は相当でなく、本件抗告は理由があるから、特別家事審判規則一条、家事審判規則一九条二項にしたがい、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 合田得太郎 裁判官 古市清 辰巳和男)

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